子育てをしていると何か理想を作り上げるよりも、わたしの家族からの古い思考や行動パターンなどを与えない!プラスではなく、削ぎ落とすことだけで十分大変で、それでも受動的な道具の動画やスマホなどに助けを求めたくないのでそこはストイックにバランスよくやっていこうとしています。
子育てだけではなくYouTubeなどの動画、ニュース、やテレビそしてSNSなどのスマホのスクロールなどの情報に溢れて生きる私たちもより意識しなくちゃいけないことがある。
それは受動的になることを避けること。
受動的?ってと、もはや受動的が何かわからないかもしれません。
それは受動的に情報をいただき、ただそれを受け入れることー他から動作・作用を及ぼされること・受け身でいる。ということ。
ここで強調したいのは、この受け身ということが悪いことではなく大切な要素でもあり、そこには自分の我を超えて他者を許容するという器が必要で、受け身でいることも大切です。
特に調和ということが美学な日本人にとって、この許容することっていうのはとても大切なコミュニケーションのツールでもあります。
でもここで言う受け身とは日本人に限らず現代人全体が抱える、受動的にただ情報を飲み込む行為のことを言っています。
テレビをただ見てその情報を消費してマインドに入っていく、メディアが発する情報を自分で能動的に考えずにそれを鵜呑みにする。
他者が言ったことを考えずにただ真実と捉える、、、情報社会で溢れる量は莫大でそれをただ能動的に処理していったらその情報であなたのマインドは埋もれてしまいあなたの意思は埋もれていく。
自分がどう思い、どう感じ、どう考えるのかをする活動をやめて、、、ただ外からの動作で作動する。
でもこれは日本の学校教育のシステムの中のプロバガンダがただうなずいて、従いなさい。受け身というか、先生の言う事を聞くのが正解とした教育システムからそれは始まっていったのかなとも思います。
皆が同じようにいう事を聞き同じ事をする、調和を大切にしていたらもちろんそれは効率的なシステム。
でもそれをずっと繰り返し、情報をただ鵜呑みにして、情報が伝えている通りにしていたら私たちはどうなっていくのでしょうか。
マインドというのは簡単にシフトできる、無意識にただ流している情報はいつしかあなたの意図に意思になっていく、それは洗脳になっていく。
マインドとははかないシステムで、そこからそれがアイデンティティーになっていく。
そして受動的の対義語は能動的。
それは自分から自発的に行動する力で、自分から他へ働きかけること。
自分から思考して感じてそこから行動を起こす力は必要です。
そこからより自由は、可能性は広がっていきます。
今の社会は受動的に生きれるような簡単なシステムだから、ボーッとただ受け入れているだけで今世はもうおしまいなんて気づいたらそんなことになってしまわないように、自分の力で自分の方向性を決めていく能動的な作用も必要です。
受け入れる力も、エゴを抑える力も、またどう健全に向かっていくのかも大切です。
常に能動的になりなさい!とは言いません、でも今の現代人は異常なまでに受動的になっています。
アルツハイマーや認知症も受け身になればなるほど、脳は退化していく。
能動的に生きる人と受動的に生きる人では脳からすべての体のシステムは違い、生きてる世界観や認識そして現実も違う世界ではないでしょうか。
まさに生き方がパラレリリアリティーの差を出していく。
答え合わせを、物差しを外に置いて、考えることや感知することをもし放棄し続けていたなら今ここで能動的でいるパワーをオンにしながら創造的に生きて見ませんか。
その状態で生きることは人生を拡大させる力があるから。