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2021年5月30日6 分

スピリチュアルバイパスに気をつけて

最終更新: 2021年5月31日


 
スピリチュアルバイパスまたはバイパシングという言葉知っていますか?
 

その言葉はアメリカのロバートアウグスティンという心理カウンセラーが広めた言葉です。
 
今のオルタナティブな生き方、自己向上やよりポジティブに生きようという流れの中でどこかで痛み止めになっているスピリチュアルが主流になってきてしまっている。
 
今ここでスピリチュアルバイパスという言葉を認識しながら、自分と精神性の繋がりをより認識しながら地に足ついて向き合っていくためにわたしの中の学びと気づきを混ぜながら伝えたいと思います。

まずはスピリチュアルバイパスとはなんでしょうか?
 

 
・ポジティブを強調しすぎて、ネガティブを避ける。

・悟りの概念について独善的である、自分は悟っていると思っている。

・うまくいっていないのにうまくいっているふりをすること。
 
・全ての目の前に起こる現象は自分の中心で回っていると思っている。
 
・自分自身は特別な魂だと思っている。
 
・現実を無理矢理全ていい意味に置き換えて、自分自身と向き合わない。
 
・他社の苦悩に対して思いやりをもたずに、ポジティブに転換する。

・過去世や前世のことばかり気になって、今の自分と繋がれない。
 

 
どうでしょう、この中に一致するものはありますか?
 

 

スポリチュアルバイパス:SPIRITUAL BYPASSとはスピリチュアルを無知として使うこと。


 
それはキラキラスピリチュアルのようなどこかで盲目な盲信な行為であって、ロバートアウグスティン氏の定義によるとスピリチュアル・バイパスの側面には、過度の無執着、感情の麻痺と抑圧、ポジティブへの過度の強調、怒りに対する恐怖、盲目または過度に寛容な思いやり、他者との境界線が曖昧、偏った発達 (認知的知性はしばしば感情的および道徳的知性よりもはるかに先を行く)、 自分の否定的な要素や影の要素について気づけない、精神的なものに対する個人の価値の低下、より高いレベルの存在に自分自身が到達したという妄想。
 

 
つまり問題という名の痛みに向き合わずにより心地よく向かい自分を麻痺させたり問題を回避するために私たちはこのスピリチュアルをワンネスを無理矢理ポジティブに使うということです。
 
実際人間ってどこかで痛みを味わいたくなくて、どこか逃げる傾向があって、どこかで自分を特別な何かにしたい、だからこそ誰にでもあり得るスピリチュアルバイパス。
 
自分のスピリチュアルバイパスな部分をしっかり認識することを初めることはセルフワークをしていく中で通過地点であり大切なことです。


 
より丁寧に情報とも向き合いながら、認識することの大切さ


 
もともと今のスピリチュアルなムーブメントの流れもどこかで地に足がついていない西洋の流れと絡まって始まっていて、日本の禅などや本当の経典からかけ離れたスーパーコスミックなものがメインストリームになっていたりもします。
 
レムリアやアトランティスなどの今にはない情報に固執してみたり、社会とうまく溶け込めないのをインディゴチルドレンであるからとしてみたり。
 
そして様々なスピリチュアルなバズワードもわたし自身が英語のソースを照らし合わせながら様々な情報を見ていても断面的な情報でどこかで深く伝われずに広まり、西洋のスピリチュアルの情報と個人の無知とが混乱をさせているよな感じもしています。
 
例えば、『わたしには特別な使命がある。』などのどこかで何か自分自身を特別にするマインドセットから、わたしもよく以前は使っていた『全ては幻想でできている。』や『全ては自分の投影』そのような言葉もしっかりと意味を理解しないでとるとスピリチュアルバイパスになってしまう。
 
それもどこかでより深く知るのではなく、スクロールを早くしてより早いキャッチーな情報をというファーストインフォメーションな感覚でとった知識が拡散し浅く広くのスピリチュアル が広まっていったからでもあると思います。
 
そして現にわたしがスピリチュアルバイパスだったなという経験からも非常に思います。
 
何かを特別に魅せるのではなく、前世や過去世という答えのないものに固執するのではなく今というわたしにいかに繋がるのかが大切な行為です。
 
そして答え合わせができないスピリチュアルな世界だからこそ、固執することに危険性も伴います。
 

 
そして占い、星読みやタロットも盲信してしまうとあなたを今に繋がらせず、リミットという鎧を与えることもあります。
 
数年前にドーリンバーチューという世界的にも有名なオラクルカードを作っているイギリス人女性がいました。
 
その彼女は数年前に突然全ての出版をやめました。
 
私自信も彼女のオラクルを10年以上前から可愛いくインスピレーションになるというのもあって使っていたので、びっくりしたのですがそれも、このスピリチュアルバイパスを高めるという危惧、危険性、どこかで人を混乱や本当の精神性から遠ざけるということへの気づきからドーリン氏はやめたのではないかなと思います。
 

 
今ここにある自分と向き合わせないものはどこかでスピリチュアルバイパスにさせやすい傾向があります。

バイアスに気付きながら自分に気づくこと


 
そしてスピリチュアルバイパスとはバイアスであり、そのバイアスがかかっていると気づけないのもの。
 
盲信させやすく、偏った思考を教える新興宗教なども一種のスピリチュアルバイパスです。
 
そして偏った思考、、、陰謀論や神秘論や日本の神道が一番で日本はすごいんだぞ!的な偏った意見、、、などどこかで何かを誇張させ、あなたを今の目の前の現実から向き合わないようにさせているものたちはどれもあなたにバイアスをかけています。
 

 
要は自分の何か感情で、現実で向き合いたくないことや受け入れたくない時にわたしたちはバイアスをかけるというストラテジーです。
 
だからこそより自分を構築するにあたり守るにあたり盲目にさせている面であってそれは誰にでもあるブラインドスポットです。
 

 
スピリチュアル が怪しい、危険なものというのはこのスピリチュアルバイパスからの見解であるのではないかと思います。
 

 
でも本当のスピリチュアルはとても神聖で本質に変えっていくこと、自分のバイアスをレイヤーをとってあれもこれも全部勝手に作ったフィルターで0に戻っていく行為ではないでしょうか。
 
余分に世界を特別に見るためにグリッターや特別に光らせる必要はなく、ただ純粋に愛の優しさというシンプルなものに触れに還っていく行為です。
 
そしてそこはどんな汚い感情をも怒りもともに寄り添える場所である、逃げる必要も拒絶する必要も隠す必要も恥ずかしいと思う必要もなくただどんな自分をも平静に向き合っていく、善と悪ーネガティブもポジティブも存在しない特別やすごいものもなくただ全てが同じ、あの人もこの人もアリも蚊も爪の垢から埃まで全てが同じただの意識だったんだと気づくまでの道のりなのです。
 

 

 

 
わたし自身が毎回これもバイアスかなという答え合わせと自問自答の日々です。
 
偏った意見に信仰せずに、中庸の中この情報社会を生きていきましょう。
 

 

 
生きとし生けるものが情報という混乱から解放されますように。

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